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休診日:水・日・祝祭日
※お待たせすることをできるだけ少なくするために予約制とさせて頂いております。
6月20日に、以前、当院に勤務していたスタッフからメールが届いていました。
開いてみると「結婚記日おめでとうございます。」のメッセージ。
「ん?・・・え!・・・あっ、そうだった!・・・」
一瞬にして頭の中が真っ白に。
そこから、どうやって言い訳しよう、今から何が出来るだろうと頭を巡らせましたが、いい案が思いつかず、観念して「結婚記念日を忘れていました・・・。」と宣言。
返事は「だろうと思っていた。私はカレンダーに♡マークをつけていたけど。」という強烈な返答。
仕事が終わってから、泣きそうになりながら今から出来る事を考え動きました。
家に戻り買ってきたものを渡すと「時間がかかっていたから、ホールのケーキでも買ってくるのかと思っていた。あまり期待していなかったけど。」とさらなるパンチが心臓を直撃。
「そこだったか~。」
リアクションが出来ませんでした。
買ってきたスパークリングワインで乾杯しながら、妻の作った手料理で27周年を祝ったのでした。
とほほ・・・。
翌日は日曜日。
書類整理を終わらせてから頼まれていた買い物をし、出直してホールケーキを購入。
「何かプレートを付けますか?」と聞かれ、“1日遅れの結婚記念日”というフレーズが浮かんだのですが、傷口を広げそうでやめました。
イベントを忘れると倍以上の動きをしないといけないという事を学習し、予定表に、来年の結婚記念日を早速書き込んだのでした。
皆さんも注意しましょう(院長)。
「霊長類が長い進化史を通じて採用してきた遊動生活。不快なものには近寄らない、危険であれば逃げてゆくという基本戦略を、人類は約一万年前に放棄する。ヨーロッパ・西アジアや日本列島で、定住化・社会化はなぜ起きたのか。栽培の結果として定住生活を捉える通説はむしろ逆ではないのか。生態人類学の立場から人類史の「革命」の動機とプロセスを綿密に分析する。」
定住については、縄文時代に、狩猟採取から農耕牧畜へと生活様式が変化したことにより自然発生的におきたことのように認識していました。
でも、この本を読むと、定説となっていたものに疑問を感じるようになってきました。
基本的に考古学は、出土した骨や、生活の痕跡などをもとに類推し、現在の私たちの起源を追及していくもので、確定的な答えというものはありません。
何処に重点を置いて見ていくかによって、また、観る角度によって結果は大きく違ってくると思います。
ロマンを求めて追及している研究者が見出した結果をもとに私たちは今の自分を振り返ったり夢を見たりしているわけです。
時には勇気づけられたり、時には言い訳に使ったり、捉え方は様々ですね。
この本では、環境要因、食料、生きていくための距離感、エネルギーに関する事などをもとに、二足歩行になった我々の祖先の起源について語られています。
植物の分布の変化や、手、足、口などの生き物による役割の違いなど、幅ひろい目線で定住について見つめる。
手が自由になったことによっておこった人類の進化。
この、「進化」という言葉すら、前向きな言葉として単純に捉える事が出来ないような気がしています。
「変化」と言った方が分かりやすいかも知れません。
物事を人間を中心にして考えるのではなく、人類は地球全体のごく一部の存在であるということを忘れてしまうことによって多くの問題が生まれているようですね。
感染症もその一つでしょう。
二足歩行の捉え方についても、今までとはまた違った別の概念が生まれました。
頭を柔軟にして見ていくことは大切ですね。
最後の章では、“人はなぜ戦うのか”ということで締めくくられています。
とても奥の深いお話でした(院長)。
『表題作「天災と国防」ほか、自らの関東大震災経験を綴った「震災日記より」、デマに「対する考察「流言蜚語」など、地震・津波・火災・噴火などについての論考やエッセイ全十二編を収録。平時における備えと災害教育の必要性など、物理学者にして名随筆家ならではの議論はいまだに有効である。天災について再考するための必読者。(解説・畑村洋太郎)」
新聞で紹介されていたものです。
災害に対する考え方、心構えについて12のエッセイが掲載されています。
東日本大震災はもちろん、今回の新型コロナウイルスに対してどのように対応していけばいいのか、頭の中が、ずいぶん整理されてきました。
筆者は1878年生まれで、関東大震災を経験しています。
東京帝国大理科大学実験物理学科卒業の科学者ですが、経験に基づく災害対応法が適切な内容で書かれています。
科学的なこと、人間の心理を踏まえた取り組みなど、非常に現実的なことが語られています。
解説も非常に興味深く、解説の域を超えた素晴らしいものでした。
解説は2011年5月に書かれています。
当然、福島第一原発事故についても触れられています。
これからは、子どもたちに「安全教育」ではなく「危険教育」という提言が心に焼き付きました。
結局災害に対しては、マニュアルではなく、危険性を判断し、個別に対応できる能力が必要なんですね(院長)。
「ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長い間思っていた。」
~時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある~
村上春樹氏の家族を題材にしたエッセイです。
以前「ねじまき鳥クロニクル」を読んだ時に、父親の戦争体験の影響が文章に現われている事を感じていましたが、それを裏付けるものが表現されています。
多くを語らなかった父の体験について、心の中で納めておくことが出来なくなってきたのでしょう。
自分自身の存在について考え、世の中の流れの偶然、あるいは必然性について考える。
父親が戦場で命を落としていたら・・・母と出会わなかったら・・・。
現に、今、自分はここにいる。
理由などはない。
世の中に生を受ける原点を考えさせられました。
100ページの、美しいイラストが添えられた本でしたが、心の中に沁み込んでくるものがありました。
彼の作品は、様々な歴史を背景にして生まれていたんですね(院長)。
連休中は自粛ということで、ランニングもせず、ほとんど家の中で過ごしました。
こうなると、自分はどういう行動をとるのだろうと非常に興味があったのですが、結局いつもの様に、読書、ベースの練習、作曲をメインとした生活となりました。
ベースは新たなソロベースの曲にトライ。
「Sweet Memories」「島唄」の2曲が新たなレパートリーとなりました。
作曲では仕上げ磨きの曲を作り、妻に指摘されたところを修正し、ほぼ完成。
自分で歌っているのですが、女性の声だったらもっといい感じになりそうだなと思いつつ、それなりに満足しています。
ちょっと歌詞を変えると手洗い用の曲にもなり、なかなかの優れもの。
いずれ、来院されたお子さん用にお渡しすることを考えています。
連休明けに診療のためにユニホームを着たのですが、なんと、お腹周りのボタンが、閉まらない・・・!
たった1週間での変化です。
籠って、食べて、飲んで、寝る、の結果がはっきりと出てきました。
体は正直です。
家に帰って、恐る恐る体重計に乗ってみましたが、普段とあまり変わらず。
筋肉が、みごとにぜい肉に置き換わったんですね。
山の中を駆け巡っていた自分はどこへ行ってしまったのでしょう。
状況がおちついたら、少しずつ節制して戻していきます。
体というものは、一度甘えると、なかなか戻せなくなるものであるということを痛感しています(院長)。
「吹雪のアルプス山中で遭難機が発見された。傍らには引き裂かれたジュラルミン製トランクの破片。中には、感染後70時間以内に70%に急性心筋梗塞を弾き起こし、残りも全身マヒで死に至らしめるMM菌があった。春になり雪が解け始めると、ヨーロッパを走行中の俳優が心臓麻痺で突然死するなど、各地で奇妙な死亡事故が報告され始める。
人類滅亡の日を目前に、残された人間が選択する道とは。著者渾身のSF長編。」
1964年に出版された作品。
核兵器に代わるものとして開発されたウイルス。
世界へ蔓延するが、原因が分からないまま被害は急速に拡大していく。
唯一、南極で活動していた各国の研究者たちが、感染から隔離された状態でたまたま情報を得て生存していく。
その数たった1万人。
ウイルスの恐ろしさと、それにも増して恐ろしい人間の中に潜む欲望。
今回のコロナウイルスによる世界の状況を予見するような内容が多々、見受けられます。
何に対して、どう対処し、何処へ行きつくのか。
そして、何れまた繰り返されるのか。
1975年に草刈正雄主演で映画化されています。
エンディングに近いシーンだけが、記憶にありました。
著者は、「日本沈没」も書いています。
こちらは、中学生の時に映画で見ていました。
著者は2011年7月、東日本大震災の後に亡くなっています。
2作品とも、現代を予言しているようなストーリーでした。
SFはフィクションと言えど、侮れません(院長)。
昨年の大ヒットソング「パプリカ」を検索していたら、たまたま、この作品に出合いました。
大学時代に、夏休みに文庫本を買いためて、筒井康隆作品を読みあさっていたことがありました。
最近も、機会を見つけては筒井康隆ワールドに触れています。
精神疾患の治療のために開発された機器を巡って、関係者の心が入り乱れていくストーリー。
利権、名誉のために利用されて、予期せぬ事態に陥ってしまう。
開発者の想いとはかけ離れた使用法によって世界が変貌していく。
そのエネルギーは人間の心の中にあるという、考えたくはないが現実を暴き出しているような、そんなお話です。
この時期に読むと、「SFの虚構の世界だから・・・。」と軽く受け流すことが出来ないでいます。
タイミングが良かったのか、悪かったのか。
気持ちのリセットに時間がかかりそうです。
相変わらず、壮大な世界にどっぷりと浸かりました(院長)。
「何を守り、何を捨て、僕らはどう生きていくべきか。2020年春、ローマにて。非常事態下で綴られたイタリア人作家の叫び。今読むべき傑作エッセイ」
と紹介されています。
著者は素粒子物理学を専攻している学者。
数々の文学賞を受賞しています。
新型コロナウイルスと、どう向き合っていくか。
エッセイではあるが、事実を見据えた上で、現実を見せつけてくれます。
あとがきの「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」では
「緊急事態に苦しみながらも僕らは(それだけでも、数字に証言、ツイートに法令、とてつもない恐怖で、十分に頭がいっぱいだが)今までとは違った思考をしてみるための空間を確保しなくてはいけない。30日前であったならば、そのあまりの素朴さに僕らも苦笑していたであろう、壮大な問いの数々を今、あえてするために。たとえばこんな問いだ。すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。」
と書かれています。
あらゆる点で、福島第一原発事故との共通点を感じるのは私だけでしょうか。
これから、どう考え、どう生きていくか。
今後、既成概念は通用しなくなっていくのかも知れません。
軸足をしっかりさせて、今回も、じっくりと取り組んでいかなければいけませんね(院長)。
令和2年 4月29日(水)から5月6日(水)まで休診とさせていただきます。
ご不便、ご迷惑をおかけ致しますが何卒よろしくお願いいたします。
「ある時、そのウイルスは我々の祖先に感染した。(中略)そのウイルスがいなければ胎盤は機能せず、ヒトのサルも他の哺乳動物も現在のような形では存在できなかったはずである。つまり我々の体の中にウイルスがいるから、我々は哺乳動物の「ヒト」として存在している。逆に言えば、ウイルスがいなければ、我々はヒトになっていない。少なくとも今とまったく同じヒト科ヒトではなかったであろう。我々は親から子へと遺伝子を受け継ぐだけでなく、感染したウイルスからも遺伝子を受け継いでいるのだ。もう一度言おう。我々はすでにウイルスと一体化しており、ウイルスがいなければ、我々はヒトではない。それでは我々ヒトとは、一体、何者か?動物とウイルスの合いの子、キメラということなのだろうか?
もう一つの疑問は、果たしてウイルスとは何者か?ということである。我々ヒトを含む生物の進化に大きな役割を果たしたウイルスは「ただの物質」なのだろうか?それともやはりある種の「生命体」と見なすべきなのか?」
まえがきの抜粋です。
2016年に出版されています。
私たちの体を構成する細胞。
ここに、過去においてウイルスが侵入し、構成要素として活動している。
以前読んだ本では、ウイルスは生命体ではないという見解でしたが、この本を読むと、少なくとも物質ではないように思えてきました。
ただし、どのような意志を持って活動しているのか。
宿主がいなければ自分たちが存在することさえ危うくなるのに、際限のない
感染を引き起こしてしまうウイルス。
ヒトのDNAに刻まれたウイルスの痕跡とは?
新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、様々な書籍が出版されています。
あらためて、自分たちのボトムについて考えさせられました。
いずれにしても、この状況が早く収束することを願って止みません(院長)。
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